みおじほんどう
三尾寺本堂
県指定 建造物 【指定年1959年】 分類/ 建造物
解説
本堂は、永禄2年(1559)、呰部(あざえ)丸山城主・庄兵部大輔勝資(しょうひょうぶだいすけかつすけ)が本寺の荒廃(こうはい)を嘆いて再建したと言われている。さらに、慶長9年(1604)備中代官の小堀政一(こぼりまさかず)(遠州(えんしゅう))〔1579−1647〕が寺領10石を寄進して保護した。ただし、建築様式から見ると、再建年代は17世紀中頃と考えられる。本堂は、密教本堂(みっきょうほんどう)の平面を保っており、桁行五間(けたゆきごけん)・梁間四間(はりまよんけん)、入母屋造(いりもやづくり)、茅葺(かやぶき)である。側廻りは方柱の大面取(だいめんと)りで、地長押(じなげし)・内法長押(うちのりなげし)を廻し、柱天に舟肘木(ふなひじき)を置いて桁を廻す。二間、疎垂木(まばらだるき)を配し、両妻とも虹梁(こうりょう)・大瓶束(たいへいづか)で化粧板張(けしょういたば)りとする。一間の向拝(こうはい)には蟇股(かえるまた)が3個つき、組物は左右に二手延びる連三斗(つれみつど)となる等特異である。平成18年10月から平成20年9月末に修復工事を行った。
所有者:三尾寺
所在地:新見市豊永赤馬
公開状況:外観公開
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