しょうりゅうじかんのんどう
青龍寺観音堂

市指定 有形文化財 【指定年1969年】
分類/建造物

解説

本堂は、寄棟造(よせむねづくり)、茅葺(かやぶき)で、桁行三間(けたゆきさんけん)、梁間三間(はりまさんけん)の三間堂(さんけんどう)である。柱は大きく面を取った角柱に舟肘木(ふねひじき)を乗せるだけの簡素な中世風の外観である。青龍寺は、真言宗(しんごんしゅう)醍醐派(だいごは)の古刹(こさつ)である。大同年間(806−810)、唐から帰朝した空海(くうかい)が諸国巡錫(しょこくじゅんしゃく)の折り、この地に足を留め、その山容と風光がかつて修行した長安の黒髪山東塔青龍寺に似ているとして、伽藍(がらん)を建立し、真言密教の霊場(れいじょう)としたのが本寺と伝えられている。
その後、天正3年(1575)、毛利氏(もうりし)と三村氏(みむらし)の争乱で焼失し、万治(まんじ)年間(1658−1660)備中松山藩3代藩主の水谷勝隆(みずのやかつたか)(1597−1664)が、旧のままに復元したのが現在の堂である。

所有者:青龍寺
所在地:新見市新見
公開状況:外観公開

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