くまたにややしきあと
熊谷屋屋敷跡

市指定 記念物 【指定年1978年】
分類/史跡

解説

本屋敷跡は、明治40年(1907)、早稲田大学の学生であった若山牧水(わかやまぼくすい)が夏季休業時に郷里宮崎県への帰途、中国路を旅して、二本松峠にあった一泊した茶屋熊谷屋の跡地である。この道中で牧水の代表作となる名歌「幾山河」(いくやまかわ)が読まれている。同地には、「幾山河」の歌碑をはじめ、夫人喜志子(きしこ)、長男旅人(たびと)、親子三人の歌碑があり、3人の歌碑が1箇所にまとまっている事例は全国的にみても珍しい。これらは、まず牧水の「幾山河」の歌碑が造立され、その除幕式に出席した喜志子が歌を詠み、その歌が歌碑として造立された際の除幕式に旅人が歌を詠んだものが歌碑として造立された。
牧水「幾山河こえさりゆかば さみしさのはてなむ国ぞ けふも旅ゆく」
喜志子「あくがれの旅路ゆきつつ 此処にやどり この石文のうたは残しし」
旅人「若くしてゆきにし夫のかたはらに 永久の睦みをよろこばむ母は」

所有者:新見市
所在地:新見市哲西町大竹
公開状況:公開

市指定一覧に戻る

指定全体一覧に戻る