にしやまじょうあと
西山城跡

市指定 記念物 【指定年1978年】
分類/史跡

解説

本城跡がある山は、俗に要害山(ようがいざん)と言われ、その頂上に西山城が築城されており、東西約1km南北約2kmにわたり、本丸跡、二の丸、三の丸や出丸跡、大手、搦手(からめて)等がはっきりと残っている。文治(ぶんじ)元年(1185)、源頼朝の重臣市川行房により築かれ、その後天文(てんぶん)2年(1533)毛利家の家臣で備後西城主の宮高盛(みやたかもり)によって修築された。天正(てんしょう)年間(1573−1592)、尼子・毛利の備中合戦の折りに落城したと言われる。鎌倉時代において、この地域は吹屋街道の要地として大いに栄えた。

所有者:個人
所在地:新見市哲西町八鳥
公開状況:公開

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