せきながはる・せきまさときぼしょ
関長治・関政辰墓所

市指定 記念物 【指定年1982年】
分類/史跡

解説

新見藩初代藩主の関長治(せきながはる)(1657−1738)および4代藩主の政辰(まさたつ)(1757−1774)の墓所は清瀧山西来寺(せいらいじ)にある。本寺は、元禄11年(1698)に長治から下賜(かし)された現在地に徳翁良高(とくおうりょうこう)和尚が堂塔を建立し、関家の菩提寺(ぼだいじ)としたことに始まる。長治は元禄10年に新見藩初代藩主となり、新見へ入府後、御殿(ごてん)・家中屋敷(かちゅうやしき)等を整備し、現在の新見の基礎を築き、元文3年(1738)に卒(そつ)した。政辰は4歳にして4代藩主となるが、安永3年(1774)にわずか18歳で卒した。墓所は、東向きを正面に基壇上に築かれた長治の墓標(ぼひょう)があり、その後方に政辰の墓標が建立され、それぞれに水盤(すいばん)と一対の石燈籠(いしどうろう)が設けられている。

所有者:西来寺
所在地:新見市新見(西来寺)
公開状況:公開

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