みむらもとのりしゅうえんのち(さおとめいわ)
三村元範終焉の地(早乙女岩)

市指定 記念物 【指定年1984年】
分類/史跡

解説

三村元範は、備中松山城主・三村元親(1517−1566)の弟で、永禄年間(1558−1570)にゆずりは城の城主となった。その後、毛利・宇喜多連合軍と三村勢との間で備中諸城をめぐって激戦が展開され、天正2年(1574)冬に同城も毛利軍によって攻められ、翌3年正月に落城した。元範は追っ手から落ち延びようとしたが、高尾石指の早乙女岩で毛利軍の多治部景春が率いる兵と戦闘になり、この地で討ち死にした。現在は、新見市立高尾小学校の敷地内になっており、頂上には大正14年(1925)に高尾地区住民により建てられた記念碑がある。

所有者:国
所在地:新見市高尾(高尾小学校内)
公開状況:公開(高尾小学校に要連絡)

市指定一覧に戻る

指定全体一覧に戻る