いしがやまじょうあと
石蟹山城跡
市指定 記念物 【指定年2020年】 分類/史跡
解説
本城の築城者や築城時期は、資料がないために判然としないが、在地の石蟹氏の居城とされる。城主は『古戦場備中府志』や『備中集成志』によると、石蟹(三村)元宣とされる。永禄13年(1570)、毛利氏と三村氏に攻められ落城し、以後三村氏が在城したとされる。
本城跡は、高梁川と小坂部川の合流する地点南側にある標高約330m級の山塊から北東に延びる尾根頂部に位置する全長約270mの連郭式山城(れんかくしきやまじろ)である。尾根頂部にある主郭は長さ約20m、幅約15mで、周囲は高さ約3mの切岸になっている。この主郭を中心に、北東側には互いに違いの3面の曲輪を、さらに北東尾根先に沿って約20−30mの方形の曲輪を7面配し、その先端部分には幅約15mの堀切と土塁を築いている。また主郭の背後となる南側にも曲輪や堀切を築き、城域を画している。
所有者:個人
所在地:新見市長屋
公開状況:公開
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