ほうこくやまだせんせいいせきひ
方谷山田先生遺蹟碑
市指定 【指定年2025年】 分類/建造物(石造物)
解説
本碑は、山田方谷(1805~1877)が亡くなった小阪部塾跡(おさかべじゅくあと)に建てられた記念碑である。方谷は、晩年母の故郷である大佐で同塾を開き、門弟を育てた。明治10(1877)年6月26日、同塾において、枕元には板倉勝静から賜った短刀・小銃と王陽明全集が置かれ逝去した。その後、同地は荒野になり、方谷を記念するものもなかった。そのため、同塾を中心とした門弟や有縁者、賛助人の賛同を得て、明治27(1893)年に方谷の遺蹟を記念する石碑を建設することを決定した。石碑の銘文には、題字は勝海舟(かつかいしゅう)、撰文は方谷の高弟で・大正天皇の侍講の三島中洲(みしまちゅうしゅう)、筆は貴族院議員の金井之恭(かないゆきやす)で、倉敷の石工・藤田市太郎が作成し、明治42(1909)年に建てられた。
所有者:新見市
所在地:新見市大佐小阪部
公開状況:公開
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