三日市庭跡
荘大分類
史跡
所在地
新見
解説
この地域は三日市と呼ばれ、鎌倉時代から市庭(市場)が開かれていた。室町時代に入ると、半分は地頭方(東方)、残り半分は領家方(西方)に分割された。また応仁の乱(1467−1477)後、国衙領や各地の人々が出入りしていたため、緊張状態にあったとされる。なお、市は、文字通り毎月3日の付く日(3日、13日、23日)に開かれていた。
昭和56年(1981)7月6日、当時皇太子であった今生天皇徳仁が卒業論文執筆のためにお成りになった。
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