江原八幡神社
荘大分類
史跡
所在地
西方
解説
天安2年(858)、豊前国宇佐八幡神社(大分県)の分霊を勧請し、社殿の造営を行い、元久3年(1206)に現在地に社殿を移転した。新見荘期には総社の役割を担い、また荘内に関わる横暴等に対して荘民が一揆を起こすための決起集会場でもあった。
新見荘の国衙代官であり、東寺領の請所代官を兼ねていた安富智安が、嘉吉元年(1441)以降、東寺に対して年貢を滞納し、荘内で横暴を重ねたところ、寛正2年(1461)、荘民が東寺の直務代官を要望するため、本神社内で「一味神水(いちみしんすい)」(神社境内内で神水を酌み交わし一致団結を行う)を結束を固めた。また文明3年(1471)細川氏の家臣が新見荘内に入ろうとした際にも実施している。
昭和56年(1981)7月6日、当時皇太子であった今生天皇徳仁が卒業論文執筆のためにお成りになった。
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