三村元範終焉の地(早乙女岩)
荘大分類
史跡
所在地
高尾
解説
三村元範(みむらもとのり)は、備中松山城主・三村元親(みむらもとちか)(1517−1566)の弟で、永禄年間(1558−1570)にゆずりは城の城主となった。その後、毛利(もうり)・宇喜多(うきた)連合軍と三村勢との間で備中諸城をめぐって激戦が展開され、天正2年(1574)冬に同城も毛利軍によって攻められ、翌3年正月に落城した。元範は追っ手から落ち延びようとしたが、高尾石指(たかおいしざし)の早乙女岩で毛利軍の多治部景春(たじべかげはる)が率いる兵と戦闘になり、この地で討ち死にした。現在は、新見市立高尾小学校(にいみしりつたかおしょうがっこう)の敷地内になっており、頂上には大正14年(1925)に高尾地区住民により建てられた記念碑がある。
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