にいみデジタル博物館

新見荘資料

地頭方政所跡 じとうがたまんどころあと

荘大分類

史跡

所在地

上市

解説

標高約220mを測る平地に立地し、現在水田と宅地になっており、「土井」という地名が残っている。北側及び東側に地名「谷内田」が位置している。南北約65m、東西約50m−55mの方形区画が残っており、またその周囲に帯状区画が配されており、方形区画が屋敷等で、帯状区画が堀と考えられている。下地中分が行われ、新見荘が地頭方(東方)と領家方(西方)に分けられ文永10年(1273)頃に地頭方政所がおかれた。後醍醐天皇により、元弘3年(1333)東寺が地頭職となった。寛正4年(1463)、直務代官・祐清の殺害後、領家方の荘民らによって焼き討ちされ、その後建て直されている。天正2年(1574)を最後に東寺との連絡が途絶えた。なお、「備中国新見庄地頭方百姓谷内家差図」から、谷内屋敷が「主殿」、政所が「客殿」とわかる。

GoogleMapで表示

再検索検索結果に戻る場合は、ブラウザの戻るボタンを使用してください【ALT+← または ⌘+←】